資料整備と住民

30数億年の生命の発展の歴史を見るときに・・・


たとえ一時的にどれほど、刹那的な条件に迎合したとしても、ある集団・ある社会・ある種のみが突出した時には、次に来るものは自然のゆりもどしであり、予想以上の大きな破綻、深刻な荒廃・消滅です。


私たちが明日に向かって、まちがいなく生きのびるためには、人間の生存環境・自然環境を、すべての町や村、県や国、地球上において維持・確保することが必要です。


そのためには、最低限の新しい時代に対応した科学的知識の普及が必要でしょう。


そして、それぞれの知識を高めるために、町にも村にも県や国のそれぞれの場所にも、総合的に十分な調査研究、資料の整備、知識の普及・教育のための措置が必要です。


今後きめの細かい、地球的システムにつながるそれぞれの地域の生態学的・自然科学的な現地調査・研究が進められるでしょう。


しかし、これらの資料が整備され、それがだれにでもすぐに見られる公開の原則にしたがって、国はもとより、都道府県・市町村においても十分な新しいシステムに則った資料の整備がなされることが基本となります。


そして、このような知識とデータを活用して、まちがいなく生きのびるためには、各地域の市民層の意志と実行力が必要です。


民主主義の現代において重要なことは、すべての市民・県民・国民の意志が多様です。


それぞれの願望や活動が異なっていたとしても、限られた地球上で、国土で、それぞれの地域で、明日に向かって生きのびるために、野菜 種を守るなど生存環境を保持し、それが既に失なわれている所ではうばい返すために共通の努力をすることです。

科学的知識の普及

現在ではまだ、生態系の生きた構築材料・生物集団を基本にした自然利用や保全に関してのまちがいのない社会的な保障・約束ごとが十分に確定されていません。


限られた国土を、地球を、将来にわたって人類生存の基盤・文化の母胎として、保全していくことが要請されています。


しかし、それぞれの場所、自然環境、植生の許容範囲の枠の中での利用、人間社会と自然の共存をめざす場合に、各地域における自然の人間の干渉に対する抵抗力を基本とした規制が必要です。


自然の利用と保全のために、今日、法制度の果たすべき役割・課題は大きいのです。


・・・人間の欲望はつきるところがありません。


それは生物学的には生存のあかしであり、生活の維持のためには一つの本能的な衝動といえるかもしれません。


反面、そのような衝動的な、より便利で豊かな生活のためには邪魔物を皆殺しにし、自分だけが、自分の属する集団だけが生きようとする生き方が今大きな暗礁にのりあげています。


それは現代人の生活環境・社会が、かつて考えられられなかったほど非生物的な材料を使い、あり余るエネルギーを駆使しながら、客観的に見るならば生態系の枠をはみ出しかねないほど突出しているからです。

自然の特性をふまえた社会的約束事

自然は、そこに生息している動物・植物集団も含めてきわめて多様であり多彩です。


しかし、その一方で、日本列島各地はもとより、赤道直下のボルネオのサマリンダや、バリックパパンの奥地・・・


さらにカナダ東部やシベリア、スカンジナビア半島まで、私たちが行なった現地踏査の結果から見た時に、生物社会の秩序・動態は基本的には同一であると言うことができます。


熱帯多雨林から北方針葉樹林まで、あるいは自然林から徹底的に人間にふまれて裸地化しているグランドや路上のすぐそばに生育している踏み跡群落のオオバコ群落・・・


また、たえず草を取るところに生育している畑や水田の雑草群落に至るまで、生物社会・植物群落の消長の掟は基本的には全く同一です。


・・・重要なことは、多様な自然環境あるいは植物・動物集団ではありますが、私たちが今後生きのびるためには、出来るだけ自然の生産効率を高める・・・


また積極的に利用することも考えなければならないことであり、それを可能にする条件があるということです。


自然利用の限度、将来に対しての維持・保全のあり方については、生態系のシステム、植物群落の存続・発展の掟にしたがって、その枠の中で個々の対象の特性を踏えた施策を行なうべきです。

倒錯した人間主義

農夫は土地にしばりつけられることによって奴隷であるとルソーは言いました。


よく完成した装置(OpenSSOのようなもの)や、よく発達した組織はそこで働くものにとっては、農夫の土地のようなものです。


それから離れることによって仕事能力を失うことをおそれねばならないのは労働者の方なのです。


この100年の間に、労働は完全に変わってしまいました。


『経哲草稿』でマルクスが、疎外された労働の極致として描きだしたものが、労働の常態となりました。


他人の定めた秩序の下で行なう労働。


人と人とのつながりから切断されぼらばらにされた職場での意識。


何よりも労動より賃金を獲得するための手段であると考える考え方で描きだしていたものです。


しかし、今日ではそれらはあまりにも一般化しすぎていて、それを労働の異常な姿とみとめる方が困難です。


・・・今日、常識的な考察から出発してそこヘマルクスの「発達」を接木しようとしたりする人々がしばしばおちいる混乱や、労働に関する不満をとりあげることより大幅賃上げの方が革命的だと考える活動家の考え方などは、このへんの見落としからきています。


問わなければならないことは、労働の領域から失われてしまったものを人間はとりもどすことができるのかどうかということなのです。


せっけんの選び方 9

環境内に放出された合成洗剤を処理する下水道や下水処理場の普及率は、先進諸国の中で日本は最低の水準にあります。


一方、富栄養化の原因であるリンの供給源としての合成洗剤は、肥料を除く単独商品としてはもっとも顕著です。


そのため、合成洗剤が注目されたことは当然のことなのです。


さらに、日本では概して河川が短く、内湾、内水域に恵まれているので、界面活性成分による発砲現象や汚濁現象などが問題になりました。


また、洗剤の環境内存在濃度と生体影響に関する生物学的な許容濃度水準との対照において、ひろく水中静物に対する有害性が疑惑視されるようになったことも、十分理解できることです。


以上のような実態に対する、国や自治体の行政的な取り組みは不十分で遅れがちです。


その反面、新規の化学構造をもつ界面活性剤が次々に商品化されています。


こうして、一方的に規制事実として環境内にばらまかれてきたのです。


せっけんの選び方 8

「洗剤運動はわが国だけのものであり、したがって異常である」


・・・などという一部の人びとの言い分に対しては、つぎのように答えることができます。


合成洗剤の生体影響や環境影響については、すでに全世界的に古くから研究が行なわれています。


企業、行政などによる種々の対策が実施されてきたのですが、この点についてはわが国のばあい、従来諸外国よりも厳しい関心が持たれてきた理由として、つぎのような原因が考えられます。


まず、生産と消費の伸長が急速なことです。


合成洗剤の単位面積当たりの使用量もまた過大で、アメリカの約10倍にもなっていて、世界最高の水準にあります。


しかも諸外国ではもともと硬水の地域が多いのです。


合成洗剤が適していると評価されて普及してきたのですが、石けんの使用が十二分に可能なわが国に急激に持ち込まれてきたことには問題があります。


せっけんの選び方 7

日常的に生活現場でもっとも普遍的、高頻度で使用される合成洗剤は、問題のある各種の化学物質と同時に使われる機会も多いということになります。


たとえば、食品添加物、農薬、医薬品、環境汚染物質などと複合した場合の影響のあらわれかたについても、決して無関心ではいられません。


また、洗浄(洗濯や食器洗い)は確実に日々家庭でくりかえして行なわれます。


ほかの化学合成物質のように、たとえば職業的な環境や特殊な食品、薬剤の摂取などの影響が、ある一定期間、そうした化学物質に触れたりすることによって発生する、それ以上の意味において合成洗剤の使用には慎重でありたいと思います。


しかも、生活環境を介して心身の障害、健康の消長とは無関係に、長期間、たえず生体と接触しうるような合成化学物質は、おそらく洗剤のほかには存在しないといってもよいでしょう。


ごみの適正処理とリサイクル

廃品や廃棄物というのは、現在の技術をもってすれば、リサイクルトナーのようにほとんどどんな物でも再利用が可能でしょう。


ただし、多くの場合これには2つの条件、


1.異物が混じっていないこと


2.特定のところに一定量まとまって集められること


・・・この2つがあります。


分別収集の役目の1つは、これら2つの条件を適えることにあります。


ところで、1.と2.が満たされれば再利用が可能となる物に、廃乾電池があります。


1983年に、廃乾電池に含まれる水銀が大きな社会問題となりました。


その際厚生省は、従来の処理方式でも自然環境上特に問題はないとの見解を出しましたが、これが巷間では「安全宣言」と呼ばれるものです。


しかし、これに対しては異論・反発が根強く続き、最近、東京都町田市が設置した委員会も、改めて廃乾電池の焼却や埋立てに伴う有害性を指摘しました。


委員の一人である、ある大学教授の実験デーを掲載して、その実証を図っています。


せっけんの選び方 6

ヒトを含むあらゆる生物は、長年月の進化の過程を経て、それぞれに特殊な形と働きを持つようになってきました。


たとえば、足のうらに油を持っているミズスマシという生き物は、界面活性剤が数滴、水槽にたらされただけで、水面をスイスイと走ることができなくなるでしょう。


べん毛運動による遊走を基本的な生存、生殖の条件にしているような水中微生物も、工場や家庭排水中の界面活性物質によって甚大な影響を受けると思われます。


このように自然界の界面活性物質は、生体の内外を問わず、慎重なコントロールのもとに作用しているのです。


急激、濃厚な合成界面活性物質の生体内部への摂取や拡散が好ましくない結果を生じることは、いうまでもありません。


合成洗剤の主剤である合成界面活性物質は、それ自体の化学構造にもとづく環境影響や生理活性が問題なのです。


そればかりではなく、環境や生体内で共存しうる各種の生理活性物質の可溶化、拡散や吸収、代謝にも影響を及ぼすことが考えられます。


複合汚染についても無視しがたい存在であるといえるでしょう。


せっけんの選び方 5

合成洗剤はPCBのように、主として閉鎖型、工業用の用途に使用されているのではなく、まったく開放的に、衣食住にわたって家庭内でも広く使われています。


一方でそれは、環境中にもまったく規制をうけないで放出されています。


もちろんそれは老若男女、病弱者にも無差別に接触しうるもので、主婦が家庭で自由に扱うことのできる合成化学物質としては最大量の存在です。


しかも、PCBのように単一物質としてではなく、それがリン酸塩、界面活性剤、蛍光剤、酵素剤、糊料、色素、香料などの複合体として、人体、環境に多面的に影響をあたえることができる事実を問題にしなければなりません。


このような合成化学物質の複合体が、最盛期のPCBの生産量の約100倍も生産され消費されている現状なのです。


これでは、たとえその毒性がPCBの100分の1程度にすぎないとしても、PCBなどと同様な厳しい社会的監視と対応を必要とするのは当然のことであるといえるでしょう。