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2010年12月 アーカイブ

せっけんの選び方 9

環境内に放出された合成洗剤を処理する下水道や下水処理場の普及率は、先進諸国の中で日本は最低の水準にあります。


一方、富栄養化の原因であるリンの供給源としての合成洗剤は、肥料を除く単独商品としてはもっとも顕著です。


そのため、合成洗剤が注目されたことは当然のことなのです。


さらに、日本では概して河川が短く、内湾、内水域に恵まれているので、界面活性成分による発砲現象や汚濁現象などが問題になりました。


また、洗剤の環境内存在濃度と生体影響に関する生物学的な許容濃度水準との対照において、ひろく水中静物に対する有害性が疑惑視されるようになったことも、十分理解できることです。


以上のような実態に対する、国や自治体の行政的な取り組みは不十分で遅れがちです。


その反面、新規の化学構造をもつ界面活性剤が次々に商品化されています。


こうして、一方的に規制事実として環境内にばらまかれてきたのです。


倒錯した人間主義

農夫は土地にしばりつけられることによって奴隷であるとルソーは言いました。


よく完成した装置(OpenSSOのようなもの)や、よく発達した組織はそこで働くものにとっては、農夫の土地のようなものです。


それから離れることによって仕事能力を失うことをおそれねばならないのは労働者の方なのです。


この100年の間に、労働は完全に変わってしまいました。


『経哲草稿』でマルクスが、疎外された労働の極致として描きだしたものが、労働の常態となりました。


他人の定めた秩序の下で行なう労働。


人と人とのつながりから切断されぼらばらにされた職場での意識。


何よりも労動より賃金を獲得するための手段であると考える考え方で描きだしていたものです。


しかし、今日ではそれらはあまりにも一般化しすぎていて、それを労働の異常な姿とみとめる方が困難です。


・・・今日、常識的な考察から出発してそこヘマルクスの「発達」を接木しようとしたりする人々がしばしばおちいる混乱や、労働に関する不満をとりあげることより大幅賃上げの方が革命的だと考える活動家の考え方などは、このへんの見落としからきています。


問わなければならないことは、労働の領域から失われてしまったものを人間はとりもどすことができるのかどうかということなのです。


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